元ダンサーセラピストくらげのこの自己紹介

プロフィール

プロフィール|くらげのこの紹介

はじめに

はじめまして、くらげのこブログ代表のくらげのこです。
元ヒップホップダンサーとして芸能人の後ろでウネウネ踊ってました。

そんな僕がサロン経営者になった経緯をお話します。
ここからは親しみを込めて、砕けた口調でお話させてもらうね。

本業は隠れ家サロンの経営をしています。
おかげさまで今年で9年目を迎えることが出来ました。

ここまでいろいろと試行錯誤しながらサロンを経営してまいりましたが
僕の力で出来たことなんて本当に微々たるもので、
多くの方に支えてもらったからこその今だと思っています。

とはいえ9年目の今に至るまで、その全てが順風満帆に進んだわけではありません。

このブログを作ろうと思ったきっかけは、
同じ悩みを抱えている人のために、自分の経験を少しでも役立てたい
という想いでした。

僕自身、自分に合った仕事を見つけることはとても苦労しましたし、
ずっと熱く打ち込めるものなんてなかなか見つけられないことなんて、
よくある事だと思うんですよ。
例え見つかっても、選べないことだってありますよね。

今回はそんなジレンマに陥った『くらげのこ』の、
よくある、どこにでもありふれた人生のお話をしたいと思います。
ちょっと文章が長くなりますが、
僕と同じ想いを抱いている方には特に見ていただきたいと思います。

くらげのこ、人生紹介箇条書き

くらげのこ
くらげのこ

さて、僕の人生を箇条書きでまとめると…
こんな感じだよ。

●プロダンサーから作曲の道へ
●大手テーマパーク勤務から結婚、就活、正社員へ
●身体を壊し、うつ状態に
●なんとか回復。自宅サロン開業を決意
●空き時間見つけてブログつくろっと ← いまココ

といった感じです。
前半部分は特に関連性が全くないように見えるかもしれませんね。

ですが、まさにその通り。
優柔不断でそのくせ目移りしやすく、長続きしない。
それが僕、くらげのこなのです。

僕が経験したこと

僕の性格的にそもそも『ダンサー』そのものが合っていなかったんですね。

他のダンサー仲間との違い

大学卒業後は、
高校の時から始めたヒップホップのダンサーとして活動していました。

真夜中のクラブで踊ったり、色んなイベントにも参加していました。
某国民的アイドルグループのプロモーションビデオにも出たりしたんですよ。

今はどうか分かりませんが、
当時の地元のクラブは酒とタバコ、プラスごにょごにょの結構危ない世界でした。

でも僕は酒は強くないしタバコは人生で一回も吸ったことないし、
リスキーなことがとことんダメなヘタレだったんですよ。

つまり、当時のクラブを楽しめる要素ゼロの人間でした。
まぁ酒もタバコもリスキーなことも、ダメなのは今もなんですけどね。

くらげのこ
くらげのこ

他のダンサー仲間との趣味の違いがストレスに。
でも…ダンスが好きだったからね。
なんとか続けることが出来ていたよ。

とはいえ、酒もタバコも楽しめない。
今みたいにスマホもない。
つまり暇つぶしが出来ない。

ズンドコ音が流れている中を踊りもせず、
ただクラブ内のソファに静かに座っている。

しかし、そんな僕でもイベントの時間になると、
皆を沸かせるダンサーグループのリーダー。

皆が引くぐらい荒々しくクラゲダンスを披露したあとは、
やることも特にないので、再びソファに戻って静かに俯き、待機モード。

「やることないなら帰れ」って思うかもしれませんが、
クラブのイベントって大体深夜に開催されるので、
始発の電車の時間まではずっと家に帰れない状態なんですよ。

くらげのこ
くらげのこ

家とクラブハウスまでは距離が離れていたので、
歩いて帰る選択肢も当時はなかったよ。
今なら、ボーっとしながら
歩いて帰るのも悪くないと思えるんだけど…

やることもなく次の日は朝から学校があるのに帰れない。

気づいた時にはすごいストレスが溜まっていて
『クラブのイベントにはもう出ない!』と何度決心したことか。

もともと上がり症で人前で踊るのって苦手でしたし、
今思えば、なんでこんなヤツがダンスやってたんだろって思います。

多分、踊ること自体が好きで。
ムーンウォークみたいな技や表現力が増えていくのが好きで。
そんなゲームの世界でいう、
レベルアップみたいな感じが自分に合っていたんだと思います。

プロダンサーから作曲の道へ

大学卒業後はダンスの曲を自分で作れるようになるため、
作曲の専門学校に行くことにしました。

ダンス経験者ならお分かりになるかも知れませんが、
ダンスの振り付けをする時にまず大変なのが選曲なんですよね。

今は音楽配信サービスなどで多くの曲を試しに聴くことも出来ると思いますが、
当時はCDを買ってみて聴くまで曲が分からなかったんですよ。

お店に設置してあるサンプリングで聴けるジャケットのものであれば
CDに収録されている曲の雰囲気を確認してから購入できますが、
その方法で曲を決めてしまうと選択肢がかなり狭まるので、
世にも恐ろしい『曲かぶり』が発生してしまうのです。

くらげのこ
くらげのこ

ユニーク性(唯一なもの)を出したいダンサーにとっては
曲かぶりは大ダメージなのだよ。

要するに自分好みのダンスの曲を見つけるのはとても大変だったのです。

CDをジャケ買いしたりして、他の人が知らない曲をなんとか探すんですよ。
当然お金もかかりますし
『買ったけど雰囲気が思っているのと違った』なんて事も頻繁にありました。

そこで『だったら自分で作れるようになろう!!』って思いついたんですよ。

思い立ったが吉日。

地元には作曲の専門学校はなかったので、
大学卒業後に、関西にある学校に通うことを決意しました。

ただダンスの曲を作る専門学校というのは明記がなかったので、
結局入学したのは、アニメとかゲームサウンド作りを学ぶ学校でした。

ダンスも好きですが、ジブリやゲームサウンドも好きなんですよね。
まぁいっか、と思って急いで入学の申し込みと引越しの準備をしました。

当時は、人生初の一人暮らしで興奮していたことを覚えています。

ダンスの持つ力の限界を感じた

作曲の勉強を一生懸命したものの、
それまで楽器を触ったのは、リコーダーのみ。

ピアノも弾けず、音符も分からず、
楽譜も読めない状態からのスタートは予想以上に大変でした。
それでも音階や楽典、音色を理解するために一生懸命頑張りましたよ。

その結果、まぁまぁ曲も作れるようになってきていました。
でも専門学校を卒業する頃には、
ダンスの曲を作ることに関心がなくなってしまっていたんですね。

理由は、ダンスの『人の感情に訴えかける力』に限界を感じたからです。

ヒップホップのダンスは、
驚きや興奮といった感情は刺激できても感動を生むことは出来ない。

コレが僕の持論です。(あくまで僕のですよ)

ショーが終わったあと
自分たちが感動してウルッとくることはあるのですが、
ヒップホップダンスのショーを見た後に泣いている人を
僕は見たことがないんですよね。

 

くらげのこ
くらげのこ

しつこいですが、あくまで僕の場合だよ!
いくつかのミュージカルをみて感動したことはあったけど、
その感動はダンス単体の力ではなく、
曲、ストーリー構成、キャラクター、照明、舞台演出力などの複合要因だったため、コレは例外と見ているよ。

単純に軽快なダンスミュージックでは『感動』とは違うベクトルっていうところもあるんだけどね。
当時の僕はそこで限界を感じてしまったんだなぁ。

 

まぁそういうわけで

『興奮ではなく、人を感動させてウルッとさせたい』というこだわりがあった僕は
ダンスはあくまで趣味として楽しんでいこうと考えるようになりました。

踊る作曲家(似非)からテーマパークの世界へ

ここで『じゃあ何して働こう』ってなるわけですが、
当時専門学校で知り合った女性(今の奥さんです)の影響で、
関東にある、大きなテーマパークで働くことにしました。

音楽とは関係ない道でしたが、
色んな人に触れ合い色んなショーを見て成長できる素晴らしい現場でしたよ。

その後、数年の勤務を経てお付き合いしていた女性と結婚。

コレからの将来を見据えて、別種の仕事に正社員として就職しようと考えました。

社員として働くも壊れていく心

新しいジョブ、SEとしての勤務を始めたのですが、
バス→満員電車→満員電車→バスのドアトゥドアで通勤時間が往復4時間半。

先輩や同僚と連携をしなければならないため、
他の人が無駄に休憩を多くとるのが通常モード。

そうなると意味もなく定時より遅くなることが多く、残業確定。

終電を逃して会社に寝泊まり、
もしくは帰ってすぐに眠って3時間後には起きて仕事に向かう日々。

そんな毎日に追われ『自分が何のために生きているのか』と、
京葉線の満員電車の中でボーっと考えるようになり
目の前がブラックアウトしていく経験を何度もしたことか。

まもなくして体調を崩し、精神病院での診断の結果、
僕はうつ状態になっていたことがわかりました。

くらげのこ
くらげのこ

『他の人ならこの程度は耐えているはず』が積み重なって体調を崩したんだよね。
仕事を辞める時も、会社からの引き留めで簡単に辞められずにさらに体調が悪くなったんだ。
この時の話はまた機会があれば違う記事でお話をするかも。

その後、仕事を辞めてからは当時の家庭の事情から大阪に引っ越しをしました。

再びどんな仕事をしていくか考えたのですが、
前職を辞めるまでの過程の中で
会社は個人を守ってくれない
という先入観が根強く残ってしまっていたんでしょうね。

うつ状態だったこと、
やりがいを感じる仕事がなにも思いつかなかったこと、
そんな理由から、就職活動をする気分にはどうしてもならなかったんです。

このままだと自宅警備員としての道しか残されていない。
そんな時に出会ったのが、
自宅サロン(以下、プライベートサロン)という働き方だったんです。

開業、そして伝説へ

プライベートサロンの運営を通じて
自分の考え方にも自信が持てるようになりました。

大げさかもしれませんが、私はプライベートサロンに救われたのです。

もしも『プライベートサロンの経営者』という道が見つからなかったら、
私はいまごろ、自宅警備員レベル80は超えていたことでしょう。

サロンの開き方についてご興味があれば
低コストで出来る、理想のサロンの開き方|はじめに』をご覧ください。

今ではサロンの空き時間(隙間時間)を見つけて、
副業が出来るような余裕も出てきました。

僕の場合の副業のテーマは
『初期費用を出来る限りかけずに、隙間時間で稼げること』です。

誰でも始められて、ノーリスクで稼げる。
そんな方法を模索していこうと思っています。

例えば楽天ROOMとかですね。
ノーリスク、簡単、楽しいと3拍子揃ってます。

楽天ROOMについての詳しい記事は
楽天ROOM攻略日記|空き時間で楽しくお小遣い稼ぎ』をご覧ください。

それ以外の副業もありますが、おいおい記事にして紹介していきたいと思います。

どれだけ成長させていくことができるのか不安な気持ちもありますが、
うまく稼げれば、サラリーマン時代の収入は軽く超えることになると思います。

>>その他の副業について(準備中)

上記では『自宅警備員の道しか残されていない』といいましたが、
今の時代、自宅警備員でも立派に稼ぐ方法はあります。

もちろん副業を通じて知り得たお得情報なども
どんどんブログで紹介していきますので、
ご興味があれば、ぜひチェックしてくださいね。

最期に

プライベートサロンを始めるにあたり、
施術の技術、運営方法などを教えてくれたお師匠さん。
支えてくれた家族、友人、そしてもちろんお客様。
皆さまに心から感謝を。

そして、僕と同じ悩みを抱えている人に伝えたい。
働き方は一つじゃないってことを。
自分らしく、あなたが生き生きと向き合える仕事がきっとあるってことを。

いろんなしがらみがあって『自由に自由を選べない』あなたに。
仕事に生かされて、仕事のために生き、
自らの存在意義に疑問を浮かべて、これからの人生に漠然とした不安を抱えている。
そんな、あなたに。

一生懸命働けば働くほど多くの仕事を任され、
責任感が強い人ほど損をする、そんな理不尽な社会に染まりたくないあなたに。

僕と同じ悩みを経験した方に、
何か一つでも選択肢を増やすきっかけになればと思い、
このブログを立ち上げました。

少しでも…本当に少しでも救われるきっかけがあれば、
人はもっと幸せになれると思うのです。

楽しくて幸せな働き方はきっと見つかります。
ともに頑張っていきましょう!

それでは次に
『自宅(プライベート)サロン』という選択肢を選んだ理由、
メリットやデメリットについても語っていきます。

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